佐々木洋一「中井祐樹は現代の嘉納治五郎だ」


「北大柔道部百年史」の締め切りに間に合わず
お蔵入りしてしまった佐々木洋一(元コーチ)のインタビュー。
30年にわたり現場でコーチとして多くの弟子を育ててきた佐々木さんの本音を某OBが聞き出した。
北大史上最強は誰か、
ホイスvs吉田秀彦戦、
北大予科の前三角絞め、
中井祐樹の思い出など、
「寝技仙人」といわれる佐々木洋一がとことん語った。
柔道部志望の新入生・高校生にはたまらない、ディープな内容だ。

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──佐々木さんがコーチになられたのはいつからですか?

佐々木 俺は本田(伸裕)が幹部で七帝やった札幌の大会からだよ。あの代が引退して、岩井(眞)が主将になったときに、俺も一緒にコーチになったんだ。
武田泰明

──本田さんと佐々木さんというのは現役時代が重なってるんでしょうか? たしか佐々木さんは昭和49年卒でしたよね。

佐々木 本田は俺が4年目の時の1年目だよ。

──ということは、佐々木さんがコーチに就任したのはまだかなり若い時ですね。

佐々木 そうだよ。だけど俺は3浪してるから歳はあるていどいってたけどな(笑)。

──佐々木さんは旭川東高校出身ですね。

佐々木 そうそう。高校時代は立技もけっこうやってたんだ。だけど3浪したからさすがに大学では体の切れが戻らないから、かえって寝技に専念できた。そういう意味では3浪はよかったかもな(笑)。

──コーチ就任時には稽古はまだまだ充分にできる体ですよね、20代ですから。

佐々木 そうだな。だから当時の学生に言ったのは、「俺を抑えたらレギュラーだ」ってこと。そう言って下級生にはハッパかけたんだから。

本田信裕
──本田さんていうのは七帝で10勝上げてる北大史上屈指の強い人ですよね。

佐々木 あいつの代は他にもたくさん強いのがいたんだよ。嘉穂高が全国制覇したときのレギュラーとかもいたんだ。だけどそいつは1年で辞めちゃったけどな。立技は強かったけど寝技はいまいちだった。やっぱり高校でいくら強くても七帝では使えないよ。結局、残ったのは本田と水産の加藤の2人だけだったんだ。

──2人だけっていうのはきついですね。

佐々木 そうなんだ。加藤が函館に移行してから本田一人だったんだから。本田はとにかく強かったんだ。東京や関西の私大の強豪とやってもまったく遜色がない圧倒的な強さだった。だからな、俺がコーチになったときにびっくりしたのは、下級生たちがみんな本田の真似をしていたことなんだ。

──真似といいますと?

佐々木 本田があまりにも強いだろ。下級生たちは本田に憧れて本田の寝技の真似してみんな上から攻めてるんだよ。あれは本田の立技がめちゃくちゃ強くてパワーもあったからこそできたんであって、誰でもできることじゃない。本田は中央の強豪のレギュラーと立技で五分以上に渡り合ったんだから。怪物だよ。普通の七帝の学生が真似したってできるもんじゃない。だから俺のコーチとしての仕事のはじまりは、まずは「誰もが本田のようになれるわけじゃない」ってことを学生たちに認識させることだったんだ。

──本田さんはやっぱり強かったんですね、後輩みんなが憧れるほど。

佐々木 強かったよ。ほんとに強かった。

──では、本田さんが幹部のときは佐々木さんはまだコーチではなかったので、本田さんの代を入れずに佐々木さんがコーチとして見たなかで一番強かったのは誰ですか?

佐々木 またその話かよ(笑)。昔からそんな話ばっかり聞くよなあ(笑)。

──やっぱりその話はみんな興味がありますよ(笑)。

佐々木 強い選手はいっぱいいるよ。誰が一番かっていうのは難しい。コーチに就いたばかりの頃でいえば、岩井(眞)も鈴木(康弘)も藤田(寿)も奈良(博)も、みんな強かった。だから誰が一番強いかっていうのは難しいんだ。

──それはわかりますけど、現役学生の興味、モチベーションのために聞かせてください(笑)。佐々木さんがコーチになってから、つまり岩井さん以降ですけど、やっぱり高橋広明さんは強かったですか。
左から高橋広明、奈良博、岩井眞

佐々木 うん。そうだな。あいつは必ず勝ってきたから。そういう意味で非常に強かった。

──それは期待を裏切らなかったということですか。

佐々木 そうだ。指導陣が「ここで取ってくれ」という場面では必ず取ってきた。

──それは七帝じゃなくて優勝大会でもですか。

佐々木 優勝大会でも取った。当時はまだ道都がない時代で、札大や北海学園大が強いころだ。うちも七帝並みに「勝つ布陣」を整えて作戦を立てて戦っていた。分け役、取り役をきちんと決めて。広明は必ず勝ってきた。

──高橋さんが7人いれば、道都大が最強の時代、昭和の終わりから平成のはじめですけど、その頃でも優勝大会で北大は道都に勝てたでしょうか。

佐々木 それはもちろん勝ってるよ。広明が7人いれば間違いなく勝てる。

──そんなに強いんですか……。

佐々木 そりゃそうだ。間違いなく勝つ。

──でも当時の道都といえば、全国でもベスト8クラスの力を持ってましたよね。それでも勝てますか。

佐々木 勝てる。簡単に勝つよ。広明はそれくらいのレベルだよ。

──たしかに卒業するときに強豪実業団からたくさん柔道選手として勧誘されたという話ですね。七帝でそんな選手はなかなかいません。川西(正人)さんもすごいですよね。

佐々木 川西も強い。ただ、俺は川西のことは1年か2年の頃しか知らないんだ。ちょうどコーチ抜けてたから。

──川西さんが4年目の時、札幌大会の時は観てないですか。九大の富松と川西さんがやって川西さんが背負いで投げて場外だったんです。あれは完全に一本ありました。普通、七帝は場外がないんですけど、あのときは北大道場が会場で狭かったんですね。だから主審が川西さんと富松さんが観客の群れの近くに近づいたときに「待て」と言ってしまったんです。その「待て」の瞬間、すごい勢いで双手背負いが決まったんです。だから観客が大騒ぎになったんですけど、主審は一本を認めなかったんです。その後、試合は結局、富松さんの体捌きに川西さんがついていったときに巧くケンケン内股で合わされて一本負けしたんですけど。

佐々木 それは観てないと思う。記憶にないな。

──あのビデオ観ると、会場が騒然としているのがわかります。-95kgをずっと北海道で連覇してましたからね、川西さんは。

佐々木 その富松っていう九大のはそんなに強かったのか。

吉田功
──らしいですね。修猷館のOBに聞いたんですけど、練習にはあんまり来なかったらしいですけど天才肌だったらしいです。きちんと厳しい練習をして強豪実業団に進めば、いつかは九州地区から全日本選手権狙えてたかもしれないくらいのレベルらしいですよ。

佐々木 ほう。そんなに強いのか。

──佐々木さんのなかでは北大で最強はだれになるんでしょうね。戦前の高橋照信さん、庄司希光さん、猿丸貞満さん、宮下特五郎さん。戦後ですと、吉田功先生、武田泰明先生、浜田理さん、高橋広明さん、川西さん、奈良さん、我妻(敦)さん。最近ですと、東英次郎、山下志功、宮武宏企……。たくさんいますね。

佐々木 またその話に戻るのかよ(笑)。

──やっぱり聞きたいですから(笑)。

佐々木 だからわからないって(笑)。俺が見てる人間と見てない人間がいるし、立技の選手もいるし寝技の選手もいる。北大のチーム力が充実してるときは実力大将を据えるからほんとうに強い人間は七帝であまり試合をしないで大将を残して勝ってしまってるし。だから勝ち星の数だけでは判断はできないよ。

──チームとしての強さはどうですか? やはり七帝戦初優勝の山田邦彦さんの代は強かったと聞きますが。

佐々木 俺も伝説でしか聞いてないけど、あの代はかなり強かったらしいぞ。主将の山田(邦彦)さんやまだ下級生だった浜田(理)さんっていう怪物もいたけど、武内(光一)先生と三宅(肇)さんっていう寝技の二枚看板があったからな。それが大きいと思う。

──佐々木さんがコーチ抜けてたのは何年間くらいですか。
七帝戦初優勝時の4年目。前列右から2人目が主将の山田邦彦。後列左端が武内光一、同右端が三宅肇の寝技師コンビ。

佐々木 4年間やって途中抜けた。それで9年離れてて竜澤(宏昌)の代に戻ったんだ。

──ちょうど京大が10連覇してた時代にいなかったわけですね。

佐々木 そうそう。京都がなんだか勝ち続けてるなっていうのは『北大柔道』見てて知ってたけど、どれくらい強いのかなと。それで戻った時に竜澤が聞いてきたんだ。「自分たちのチームの力はどれくらいのレベルですか」って。だから「じゅうぶん優勝狙える力がある」って言ったんだ。そうしたら竜澤が笑って「そんなわけないじゃないですか」って言ったんだよ。

──5年連続最下位の最中でしたから信じられなかったんでしょう。

佐々木 でも結局優勝した京大にいい勝負したんだろ。

──そうです。0-1の1人残しです。

浜田理
佐々木 だからそれくらいの力あったんだよ。俺はその結果聞いて、やっぱり七帝のレベルは俺が抜けてた9年間、同じくらいのところで推移してるんだなってわかったんだ。

──でも、次の年に札幌の大会ですね、城戸の代に準決勝で京大に3人残しで負けましたね。あの試合の後、佐々木さんが泣いてたのを今も覚えています。

佐々木 あの時は、俺の気持ちが学生より先行しちゃってたんだよ。

──どういうことですか?

佐々木 試合観ていて、学生に対して「そんなことやっちゃいけないだろう!」って心の中で叫んでた。なんでこうなるんだってわからなかった。それから一年間ずっとわからなかった。だから惰性で道場行ってた。わかったのは一年後、九州の大会観てからだ。結局、俺は練習で独り相撲してたんだな。大切なのは学生に必要なことをコーチしなきゃいけないのに、自分の中で勝手に考えて自家撞着してたんだよ。

──九州行った時、つまり西岡(精家)の代ですけど、当然、佐々木さんは優勝するつもりでついていったんですよね。

佐々木 もちろん優勝するつもりだった。でもな。行って、結局京大と準決勝で当たることになって、近藤(智雄)さんと夜に話してて、打倒京大と優勝と二つを一緒にやろうとしても無理だと思った。打倒京大にはそれくらい大きな覚悟が必要だと悟った。だからまずは京大戦だった。

──その京大を準決勝で3-2の1人残しで破りました。あの雲の上の存在だった常勝京大に11年ぶりに土をつけたのが我が北大だったというのは非常に嬉しい出来事だったんですけど。決勝で九大と当たるわけですが、九大には、あの3年生の怪物甲斐(泰輔)君がいましたね。

佐々木 そうなんだ。前年の札幌大会の後、九大が北大で合同合宿張ったんだ。その時はまだ甲斐には穴があったんだ。カメ取りだ。これだけは苦手にしていた。それが、1年経って九州大会ではこれをマスターしてたな。うちで言う馬鹿絞めな。正確に言うとうちのスタイルじゃなくて東北スタイルだったけどな。おそらく東北のビデオ観て研究したんだよ。あれで甲斐の穴がなくなっていた。

──結局、この九州大会決勝では、代表戦になって、こっちは4年目の後藤(康友)を出していくわけですが、袖車絞めで落とされてしまいました。

佐々木 甲斐は強かった。だけど、あの試合は本来なら勝ってたはずなんだ。西岡の有田への背負いは一本だったんだから。

──それはみんな言いますね。僕は会場に行けなかったんで観てないんですけど、観た人に聞くとみんな「一本だった」と口を揃えます。ただ、それは結果であって、柔道の場合は瞬間的に主審が決めるわけですからしかたないですよね。そういえば、九州といえば、この試合の14年前ですね、鈴木(康弘)さんの背負いでやはり一本あったのが技ありで、代表決定戦になって怪物平島に奈良さんが抑えられて負けたというのがありましたね。まさに歴史はくり返します。

佐々木 まあ、審判の気持ちもわからんでもないけどな。15人も観てると集中力が切れるし、七帝なんて滅多に立ち技の場面がないから突然投げ技が決まっても、一瞬戸惑っちゃうだろう。しかも両校30人の学生の命運を決める試合となると、無意識のうちに決定先送りというかモラトリアムというか、とりあえずは技ありと言ってしまうかもしれない。

──七帝は昔から一本とって当然の技ありが多いですよね。だからやっぱり七帝は寝技で明確な一本を取らないと。

佐々木 そうそう。

──あの後藤に対する甲斐の袖車ですけど対策は練ってなかったんですか?

佐々木 そうなんだ。北大は甲斐の袖車を初めて見たんだ、あの試合で。だからかけられた後藤の方が慌てちゃって二重絡みを外してしまったんだ。俺は「外すな!」って叫んだんだけど遅かった。

──二重絡みしてれば袖車はかからないんですか?

佐々木 絶対にかからないとはいわない。だけど落ちるまでに時間がかかるから、そのあいだにかけてる方の腕が疲れてしまうことが多い。袖車vs二重絡みだったら二重絡みの方が強いんだ。

──それはなぜですか?

佐々木 袖車をかける方は、自分の身体を下からずり上がるようにして絞めるんだ。二重絡みをやられてると上に上がれないだろ。

──はい。

佐々木 だから守る側が本当にきちんとした七帝のきつい二重絡みで上の相手を完全にロックして上に上がれないようにしておけば、完璧には絞まらない。もちろん七帝では「待て」がないから完璧に絞まってなくても時間かけて絞め続けて1分、2分とたてば徐々に絞まるかもしれないけど。

──袖車といえばホイス・グレイシーと吉田秀彦がやったときに吉田が極めて、レフェリーが止めて、ホイスが起き上がって「落ちてなかった」と猛抗議してもめたことがあったんですけどご存じですか?

佐々木 ああ、観たと思うけど忘れちゃったな。

──落ちてたと思いますか?

佐々木 どんな体勢だったんだ?

──吉田の体がホイスの上の方まで乗り上げてたんですよ。吉田の胸の下にホイスの顔があるくらいまで。で、後でグレイシー側が「あそこまで上に上がると極まらない」って言ってたんですけどどうでしょうか?

佐々木 そこまで乗ってたなら極まってない可能性があるな。

──やっぱりそうですか。

佐々木 うん、俺はそう思う。だけど絞めが浅くても長時間絞め続ければ落ちるからレフェリーが止めなければ何十秒か絞めればいつかは落ちたかもしれない。とにかく絞めの場合は止めちゃだめだよ、審判は。

──では、甲斐君と後藤の袖車に戻りますが、後藤が二重絡みを外さなければ落ちなかったと?

佐々木 ああ。あそこで二重絡みを外さなければ俺は守れたと思う。

──練習でいちども袖車の守り方の解説はしなかったんですか?

佐々木 そうなんだ。それをやっておけばと思ったけども……。後藤はわからないから初めて袖車にこられて慌てたんだよ。だから後藤が悪いんじゃない、俺が悪いんだ……。

──やっぱり甲斐は強いですか。

佐々木 強い。緩急の使い方が巧いんだな。たいていあいつは副将に座るから試合時間が8分なんだよ。その8分のうち、はじめの6分で相手を油断させるような動きをするんだ。そこで残りの2分でズバッと取るのが抜群に巧い。つまりスタミナもあるってことだよ、練習量に裏打ちされた。この九州のさらに1年前、札幌の大会で東北大の創(斉藤創)とやるのを観てたんだが、攻めようとしてた創が、途中、やばいと思ってすぐにカメになったんだな。それでカメで逃げ切ったんだけど、まあこの時はまだ甲斐が有効なカメ取りを持ってなかったというのもあるけどな。それより感心したのは創よ。「やばい」と感じるアンテナが非情に敏感なやつなんだな。だから一流選手になれたんだよ。普通、あそこまで有名な選手はカメになったりしないよ、意地もあったりして。それをサッとカメになったからな。

──創さんが分けに入るくらいの圧力があったんでしょうね。

佐々木 甲斐は当時2年目だぞ。創は6年だ。だから甲斐が3年目になってさらに強くなってるのはわかっていたけど、まさかあそこまで強いとは思わなかった。なにしろ、あいつは1年の七帝が終わってから入ったから2年からの3年間で24人抜いてるんだ。すごい記録だぞ。うちは本田が10勝でトップ。武田先生も浜田(理)さんも8人だろ。片柳は12人抜いてるが8年掛けたからな。甲斐の3年間で24人というのは大記録だよ。

──九州大会の後、九州で合同合宿しますよね。

佐々木 ああ。あれも有田の発案だよ。甲斐の前の主将な。有田が頭よくて、仕掛け人だったんだよ。それで九大が上昇気流に乗った。九大っていうと甲斐を思い出しちゃうけど、有田あっての甲斐だったんだ。札幌合宿も有田が考えたらしい。でな、あの九州合宿でわかったのは、甲斐が柔道の強さだけじゃなくて本当に魅力的な男だったってことだな。主将として初めて部を引っぱるわけだけど、自分が強くなることよりも他の部員を強くすることばかり考えているやつだよ。すばらしい主将ぶりだった。男っぷりがいいんだ。

──吉田寛裕と似てますね。

佐々木 そうだな。そういう男だよ。いいライバルだった、ほんとに……。

──甲斐君の強さということでは東大の三本松進さんとよく比較されますけど、佐々木さんは、ほんとのところどちらが強いと思いますか?

佐々木 またその質問かよ(笑)。

──いや、これだけはどうしても佐々木さんに結論を聞きたいんですよ(笑)。

佐々木 だから昔から言ってるだろ、俺はどうしても三本松を冷静に見れないんだ。「どうやって分けたらいいかわからない……」っていうのがずっとあるから。今でも七帝の会場で会うと避けちまうんだよ。エレベーターでたまたま一緒になったときも目を合わせられないくらいだから(笑)。

──でも佐々木さん、本番で分けてるじゃないですか。体格差もかなりありますし、三本松さんは全日本選手権クラスにあった人です。あれはすごいことですよね。それで「北大史上最強の分け役」という名前が残ってるんですけれども。

佐々木 あれは小菅(正夫)さんがつけたんだよ(笑)。

──あの時はどういう作戦だったんですか?

佐々木 とにかく三本松についていくってことだよ。あいつの技に逆らわない、返しに来たのを先に先に回るっていうのを繰り返したんだ。脇や首を極められる前にとにかく先に回った。8分は長かったよ。

──それで結論的には三本松さんと甲斐と、どちらが強いでしょうか。

佐々木 しつこいなあ(笑)。俺が三本松を見る眼は学生時代のそれだし、甲斐を見る眼は指導者としてのそれだから、どうしても公平に見れないんだ。

──わかりました(笑)。では話を九大合宿に戻します。例の中井祐樹や吉田、甲斐たちが3年目の時の九大での合宿では佐々木さんが学生と一緒に道場に寝泊まりしたそうですね。ホテル代払うならその金でお前らに美味いもの食わしてやるって。

佐々木 おう。そうだったな。楽しかったよ、あの時は(笑)。

──それで合宿が終わって札幌に帰ると、やはり次の七帝戦へ向け甲斐対策のことで頭がいっぱいでしたか。

佐々木 そりゃそうだ。一日中、甲斐のことを考えてた。一年中、甲斐のことばかり考えて過ごしたよ。甲斐のことで頭がいっぱいだった。

──そういえば佐々木さんは甲斐君が亡くなったときに『北大柔道』に名文を書きましたね。甲斐君はほんとうにいい男だったんだなと、北大の本物のライバルだったんだなと、あれを読んでみんな思いましたよ。

佐々木 うん……。

──その甲斐君が4年生のキャプテンとして北大の前に立ちふさがった年、吉田寛裕率いる北大と大阪で激突しました。僕が試合前に大阪の試合会場で会った時、佐々木さんは「対甲斐要員を3人作った」って言ってましたね。

佐々木 いや。当初は5人作るつもりだったんだけど、結局3人しか用意できなかった。

──3人といいますと、中井、矢田(哲)はわかりますが、あと1人は?

佐々木 守村(敏史)だ。

──守村ですか。意外ですね。彼は下級生の頃は脇が甘かったんですよ。

佐々木 いや。あいつは大丈夫だった。6年目の頃は、もうめちゃくちゃ固かったよ。

──吉田(寛裕)を当てたらどうなんですか?

佐々木 甲斐にか? いや。吉田では甲斐に取られる。

──じゃあやっぱり中井、矢田、守村ですか。

佐々木 だけど、この3人の一角が崩れたんだよ。

──矢田ですね。

佐々木 だけど、あれは完全に分けパターンに入ってたんだ。あのまま正対で足使って分けられるはずだった。完全に上の甲斐を捌いていた。その足を甲斐は越えられなかったんだ。だけど、途中胸合わされたんだ。それを逃げるのでスタミナ使っちゃたんだな矢田は。それで抑えられた。

──矢田はどれくらい強かったんですか。

佐々木 矢田と中井は寝技の双璧だよ。トップ2。2人がやったら中井でも矢田の足は越えられなかった。矢田はそれくらいの選手なんだ。だけどあいつは上がり症なんだ。で、同期に「おまえは本番では80%の力しか発揮できない」と言われて奮起して、幹部になってからは120%の力をつけるために過酷な練習をくり返してたんだ。最初の乱取り2本で完全に息が上がるまでトップスピードで動き続け、そこからが本当の稽古だと思ってやっていた。だから120%の力がついた。試合で2割減でも100%の力を出せたというわけだ(笑)。

──で、1回戦では中井が甲斐を止めて九大に勝ちます。北大は準決勝も順当勝ちして決勝進出しましたが、九大も敗者復活を勝ち上がってきて決勝で2度目の対決となります。

佐々木 まさか大野がな……。ほんとにあのときはそう思ったよ。でも嬉しかった。あいつはたいした男だよ。

──時代を異にするのであくまでシミュレーションですけど、たとえば膂力のある東(英次郎)なら1人で止められるでしょう。

佐々木 ああ。東なら大丈夫だ。1人で止める。ただし分けに徹しなければならないけどな。創(東北の斉藤創)がやったように。創や東クラスの抜き役が分けに徹すれば分けられるはずだ。ただ、ちょっとでも色気を持ったらだめだな。阪大の大泊と甲斐の試合を見てたんだけど、大泊が分けに徹してた時はよかったんだけど、軽く大外に入った時に返されて一本負けしてたからな。

──絞めというと、高専柔道独特の技として旧制六高柔道部が開発した前三角絞めがありますが、北大も戦前の北大予科では前三角を多様してたんでしょうか?

佐々木 いや、それがな。俺、昔聞いたことがあるんだよ、酒飲んでる時に予科のOBに。そしたらな、「前三角は汚い技だから使わなかった」って言ってたんだ。あの意味が今もってわからなんだけどな……。

──北大予科はあまり前三を使わなかったんですか……。

佐々木 どうもそんな感じだな。

──不思議ですね。でも、そういえば北大予科が高専大会に優勝したときは、実は大会前に立技をかなり練習したと聞いたことがあります。「高専大会ではみんな寝技ができるから最後に活路を開くのは立技だ」っていう作戦をたてて。

佐々木 ああ、その話、俺も聞いたことがある。

高専大会決勝で大将決戦となり、松山高校大将を崩上で抑える高橋照信
──昔、『北大柔道』の表紙にも使われていた有名な写真ありますよね、高専大会決勝で大将決戦になった、例の高橋照信さんが松山高の大将を崩上で抑えてる。あれは実は高橋さんが背負いで投げて技ありをとってそのまま抑えたらしいですね。

佐々木 そうなのか。

──ええ。そうらしいですよ。

佐々木 ほう、そうだったのか……。

──前三角絞めというと、今ではブラジリアン柔術の専売特許ですけども、佐々木さんはあれは高専柔道の技術がブラジルに流れたものだと思いますか? グレイシー側は「自分たちで考えた」と言ってますけども。

佐々木 俺は高専柔道の技術だと思うなあ。それが伝わったんだと思うよ。

──三角絞めといえば、戦後の七帝柔道では戦前の高専大会の前三角絞めが減って横三角絞め全盛になっていきます。横三角の話になると、佐々木さんはよく奈良博さんの名前を挙げられますね。そんなに奈良さんの横三はすごかったんですか?

佐々木 ああ、すごいよ。返したときにはもう相手が落ちてたんだから。返す前の極めが強いんだ。股関節が柔らかいから完全に絞まるんだな。

──ほかに横三の名人といいますと?

佐々木 片柳(順也)だろ、竜澤だろ、中井だろ、たくさんいるよ。でも、それぞれ掛け方が違うんだよ。たとえば竜澤は、極めが弱かったんだ。あいつと直接話したことはないけど、あいつはそれを自覚してると思うよ。あいつは頭がいいんだ。だから何度も返して相手が疲れるのを待ってるんだ。疲れさせてから腕を縛って抑える。

──ああ、それは本人に僕も聞いたことがあります。「俺は絞める力が弱いから相手の疲れを待ってたんだ」って。

佐々木 やっぱりそうだろ。それからな、竜澤は左踵を相手の脇にねじ込む前に右膝で相手の首筋から後頭部にかけてぐりぐりと体重かけて潰すだろ。あの体重のかけ方が巧いんだよ。中井の特徴は左右両方が同じように効いたことだ。それが中井のすごさだ。片柳の横三は奈良に一番近いかけ方だな。

──佐々木さんの中で一番記憶に残る選手というと、やはり中井祐樹でしょうが、以前、佐々木さんは「あいつは全部、俺の教えたことを吸収してしまった」と言ってましたよね。

佐々木 違うよ。吸収したんじゃない。能動的に自分で盗んでいってしまうんだ。そしてそれをさらに進化させている。

──能動的にですか。やっぱり中井は他の選手とはモノが違うんですね。

佐々木 そうだな。まったく違う。あいつはほんとにすごい男だった。

──そういう姿勢がプロになってからの偉業に繋がってるんですね。

佐々木 そのとおりだと思う。あいつは平成の嘉納治五郎だよ。それくらいの男だ。

──中井が卒業後に中井レベルになった選手はいないんですか?

佐々木 中井に近づいた選手が1人だけいる。

──誰ですか?

佐々木 根津だ。

──根津大樹ですね。

佐々木 そう。あいつは中井レベルになったよ。

──「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」っていう有名な言葉がありますけれども、佐々木さんのなかでは「中井の前に中井なく、中井の後に根津あり」ですか。

佐々木 そうだな。

──4年目のときの中井と4年目のときの根津がやればどちらが強いですか?

佐々木 2人が戦えばどちらも取れないよ。ただ、たとえば10人並べておいてどっちがたくさん抜くかという競争をやれば、俺はやっぱり中井のような気がする。根津は立ってしまうことがあるからちょっと危ないことがあるんだ。体が中井より大きいから立技に自信があって受けることがときどきあった。それでいかれたのが九大の山本泰三とやったときだ。

──山本君といえばインターハイ2位で、大学でも体重別で全国3位に入った怪物ですね。でも、あれはたしか根津が4人か5人抜いた後ですよね。まだ山本君は1年か2年の時ですね。根津君はたくさん抜いて疲れてたんでしかたがない気がしますが。しかも相手は山本君ですから。

佐々木 そうだ。でも山本がまだ寝技ができないときではあったけれど抜かれたのは確かだからな。中井なら抜かれない。根津は巧く立技から繋がれたんだよ、山本に。その点、中井は立技を完全に捨ててたからポカはありえない。立ちの強い相手には自分から必ず寝る。下からも上からも後ろについても強い。

──パワーはどうなんですか? 中井と根津と。体の力、寝技力は。

佐々木 2人ともある。ただ根津の方が体重があるからな。だから受け腰に自信があって立技を受けてしまうことがあったんだよ。純粋に寝技師としての実力を見れば、やっぱり根津は中井クラスだよ。あっ! あと中井クラスになったというと、庄司がいるよ。

──庄司太郎ですか?

佐々木 そう。あいつも引退間際に中井クラスに近づいた。庄司は強いよ。やっぱり練習量がすごかった。

──ほかに戦後の寝技師で強い人といいますと? 戦前はもちろん高橋照信さんや庄司さん、猿丸さんなんかがいらっしゃいますけれど伝説でしかわからないと思うんですよ。戦後で佐々木さんからみて強い寝技師というと、中井や根津のほかには?

佐々木 それはやっぱり武内(光一)先生と渡辺(康憲)だよ。

──武内先生が浅野返しを戦後の北大に復活させたっていう噂はほんとうなんですか?

佐々木 本当だ。北大予科の流れが戦後、一時期途絶えたんだ。それで七帝でも浅野返しがなくなってしまった。五輪の前にな、浅野善造さん(六高OB)が『近代柔道』で浅野返しの解説をやったらしいんだよ。その分解写真を見て武内先生が研究したのが北大の浅野返しだ。だけどその浅野返しをさらに飛躍的に進歩させたのが後に入ってきた修猷館トリオだ。渡辺、内山、井尻。なかでも渡辺の浅野返しが飛び抜けてた。

──修猷館トリオといいますと、当然、奥田義郎先生の弟子になりますね。

佐々木 そうだ。北大にはだから2つの浅野返しがあるんだよ。渡辺の浅野返しは芸術的だった。力をまったく使わないんだ。

──奥田先生は天理大時代に武専出身の先生から寝技を習っています。なぜ武専出身の先生が六高の浅野返しをご存じだったのかはわかりませんけれど、高専柔道と武専の寝技というのは関西で融合を繰り返してレベルが上がっていったのかもしれませんね。

佐々木 そうかもな。天理大はな、ときどきすごい寝技師が出るだろ。奥田先生もそうだけど高橋(政男)先生とか。あれは大学ではなくて、京都府警にあずけるらしいんだな、寝技師だけ。京都府警に戦前からの寝技師の系譜があって、そこで鍛えられるらしいぞ、天理の寝技師たちは。天理自体はあまり寝技やらないから。

──いま奥田先生は九大の師範をされてますけれど、あまり九大で浅野返しを使う人間はいないですね。もちろんゼロではないですけれども、全員が全員使うわけではありません。

佐々木 そうなんだ。だから奥田先生も浅野返しを修猷館でも教えていたのはたしかだけど、渡辺はそのなかから特別変異で生まれたんじゃないかな。渡辺は修猷館時代におそらく非力なのを自分で克服するために独特の浅野返しを作りだしたんだよ。

──戦後の寝技師というと、佐々木さん的には武内先生、渡辺さん、中井、根津なんですね。

佐々木 そうだな。ただ、渡辺は中井とくらべると非力だっただろ。武内先生がコーチとしてやって来てた頃、まだ若い頃だよ、乱取りを選手としてただろ。当然、渡辺とも中井ともやってる。武内先生が言ってたよ。「中井は違う」って。

──それはどういう意味でしょうか? 渡辺さんよりも強いと?

佐々木 違う違う、どっちが強いかはわからない。渡辺かもしれないし中井かもしれない。両方とも強いのはたしかだ。2人が4年目同士でやったら勝負はつかない。武内先生が言ってたのはパワーのことだよ。中井は寝技のパワーがあるんだ。技術にプラスしてパワーがある。武内さんは渡辺に対してはパワーで対抗してたんだよ、それが中井には通じなかったってことだ。そういう意味では中井はやっぱりとてつもない選手だよ。寝技師としての欠点がないんだから。そしてさっき言ったように能動的に研究していく頭脳と姿勢があった。しかも精神力もすごい。

──そうですね。修斗にいってからもそれは証明されました。北大時代の伸びを、プロに行ってからずっと続けてるんですよね、技術的にも精神的にも。

佐々木 だからさっき言ったように、中井は現代の嘉納治五郎なんだよ。ブラジリアン柔術の人口の伸びってすごいだろ。これはもう中井の人間力だよ、嘉納治五郎と同じだよ。

──そういう意味で、やはり最も佐々木さんの心に焼き付いてるのは中井君だということですね。

佐々木 そうだな。中井はとてつもない男だよ。

──佐々木さんのなかでは特別なんですね。

佐々木 本音を言うとな、俺は中井が「プロに行く」って言って東京行っただろ。あのとき、「しめた!」って思ったんだよ。

──どういうことですか?

佐々木 だってあの頃なんて総合格闘技なんてまだ認知されてない時代だぞ。俺たちだってよくわからなかったんだから。だから中井も食えなくて、いつか札幌に帰ってくると思ったんだ。

──どうしてそれが「しめた」と……?

佐々木 札幌に帰ってきたら、中井に北大の監督をやらせられるだろ(笑)。

──なるほど(笑)。

佐々木洋一
佐々木 だけど、中井の野郎、その俺の「期待」を裏切りやがった(笑)。目の前の壁をぜんぶ自分でぶち破って成功しちまったんだから。もちろん嬉しかったよ。でも、北大の監督をやらせたかったというのを裏切られた(笑)。嬉しい誤算だよ(笑)。

──いやあ、本当にあの時代に、ああやってパイオニアになったんですからね……。

佐々木 だから中井は嘉納治五郎なんだよ。「中井祐樹は平成の嘉納治五郎だ」っていうのが俺の結論だ。

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佐々木洋一(ささきよういち)
旭川東高校柔道部から3浪して北大柔道部へ。北海道大学水産学部卒。小菅正夫の一期下にあたる。岩井眞主将の時代からコーチを務め、今でも道場に通い、学生を指導し続けている昭和50年代以降の北大柔道部の生き字引的存在。現役時代は東大の超弩級・三本松進と分けるなど、小柄な体で活躍した。その独特の雰囲気から学生たちに「寝技仙人」と呼ばれる。