極私的七帝戦観戦記 第59回 名古屋大会
           小菅正夫(昭和44年入学)

 我が北大柔道部は、平成16年の第53回札幌大会で優勝して以来、5年間優勝旗を手にしていない。つまり、小林主将以下全員が優勝経験をもっていないということだ。昨年の東京大会を思い起こしてみよう。一回戦対東大に五人残し、準決勝対九大は六人残しで圧勝し、決勝戦へと駒を進めた。対する名古屋大学は、東北大学との死闘を乗り越えて満身創痍。誰もが北大の優勝を疑わなかったが、結果は二人残されての完敗に終わった。
 両者の差は何れにあるや。
 ここは、それを論ずる場ではない。ただ、昨年の決勝戦での敗戦を経験している選手が十二人もいることが今年の北大の最大の強みとなっているだろう。とはいえ、勝負は時の運。結果は天のみぞ知る。
5月24日、小林主将は七帝前最後の合宿を招集した。部員たちの士気は極限にまで高まっていた。小林は、怪我人を出さず万全の体勢で七帝戦に臨むことだけに腐心した。29日に合宿を打ち上げ、部員全員が出陣のその日まで完璧な調整を心がけていた。
 ここで、今年の北大柔道部の陣容を紹介しておこう。部員数二七人は圧巻である。しかも登録メンバー二〇人の内、四年目が九人、三年目が九人、二年目が二人という他校を圧倒的に凌駕する充実ぶりである。誰もが、優勝候補の筆頭に挙げるのも無理はない。
 6月11日、千歳空港発ANA04便で中部国際空港へ出発、午後には、決戦の地名古屋へと着陣した。小林主将は根元君を引き連れて主将審判会議に出席、北大は3番籤を引き、一回戦の対戦相手は九州大学と決まった。実力伯仲の東北大は1番籤、名大は主管校故指定席・敗者復活ブロック7番である。これで、優勝への道筋が定まった。小林は強豪東北と名古屋を打ち破って完全優勝ができることに、昂ぶりを覚えていた。
 名古屋地方の記録的な猛暑に加え、七帝戦柔道大会の熱気で名古屋県武道館はまさに燃え滾っていた。筆者は、前日までボルネオ島のジャングルでヒヨケザルを探していたが、赤道直下であっても、名古屋ほど暑くはなかった。成田空港へ下りて盟友・加藤と名古屋駅へ向かい、決戦場へと急いだ。各大学の先輩たちが先を急ぐ。我が闘争心は加藤を促し、先を行く各大学OBを抜き去り、いち早く会場へ到着した(図1)。
 七年前、まさにこの名古屋県武道館で、山下篤志主将に率いられた部員たちは、北大柔道部初の七帝三連覇を目指して戦った。一回戦で強豪東北大を下しながら、準決勝で敗者復活を勝ち抜いて来た東北大に苦杯を喫した。あの無念が、あの時ここにいた全員の記憶の底にへばり付いている。筆者も同期と共に、この会場で涙していた。
 小林君!君らの背中を、我らは全力で押し続ける。思う存分戦って欲しい。そして、出来得れば、あの悔し涙を歓喜の涙で流し去って欲しい(図2)。
図1
図2
 
一回戦 対九州大学

 九州大学とは、2008年以来三年連続の対戦となった。過去二年は勝たせて貰っているが、九大には超弩級が出現する風土があるので、もちろん油断大敵である。今年は、四年生不在で三年生の宮崎(貴)君が主将を務め、五年生三名が助っ人として出場している。戦力としては苦しそうに見えるが、一年生に弐段を二名と100kgの巨漢を揃えていることは注目しておかなければならない。
九大陣へ目をやると、総監督駐c野先輩と筆者と同期の主将有岡君の強烈な顔があった。開戦前、九大陣へ挨拶に赴き固い握手でお互いの健闘を約し、いよいよ試合開始。第五九回七帝戦の幕が切って落とされた(図3、4)。
図3
図4
 先鋒戦 四年目藤本初段が北大陣の大歓声を背に、五十畳の戦場へと駆け上った。初陣の藤本を先鋒に起用するとは、この一年の彼の精進を物語っているのだろう。対する九大は、一年生ながらも九大期待の新人田中弐段。両者、中央へ進み出て一礼、主審の「始め」の一声で両者気合い十分畳の上に跳ねた(図5)。小柄な田中が藤本を引き倒して背に回り締めを狙うが、藤本落ち着いて捌き反撃を狙うも、田中に立たれる。藤本、低く立ち会うがまたしても引き倒され背に付かれる。藤本腰を決めさせず立ち上がろうとしたところ、前に回られるが、田中の方が立つ。藤本、落ち着いて田中を捌いて、引き分け。拍手に迎えられて帰陣。緒戦先鋒の重責を果たすは見事。
 次鋒戦 一六五cmと小兵の四年目生田、またもや初陣である。対するは二年生・武内無段。北大としては、ここらで抜いておきたいところだ(図6)。一七二cmと長身の武内が引き込んできた所を生田引きずるように自分から下になるも、怪力武内の強引な横振りに亀となる。北大陣、唖然とするが、生田少しも慌てず、改めて引き込み胴がらみで武内の自由を奪い、無理せずに引き分け、初陣の緊張から解かれる。
図5
図6
 参鋒戦 三年目平尾弐段、満を持して登場。迎え撃つは九大一年生の川波初段。平尾も一七八cm・九五kgと偉丈夫であるが、対する川波は、平尾を上回る一八一cm・一〇〇kgの巨漢である。両軍とも三鋒戦に重きを置いたか。
 平尾、ゆっくりとした巴で引き込み、帯取りで強引に返そうとするが、川波ついて来ず、力任せのフライパン返し。自力に勝る平尾がそのまま立って、足取りから寝技に誘い川波の攻めるに任せる。北大陣、苛立ち「早くしろ」の声!平尾反応して、小さく巻き込み、上になって肩を極め、胸を合わせて足抜きの体勢へ。ほどなく、さらりと脚を抜きそのまま崩上四方に固めれば、川波動けず一本(図7)。
 九大四鋒一年生長島初段の登場。主審「はじめ」の声に長島、勇んで飛び出して来る。立って勝負か。右の変形で平尾を引きずり回すが、平尾両腕を突っ張り自重。隙をみて小股に掬い寝技へ誘えば、長島直ちに亀。頭に回りじっくりと体重を掛け時を待つ。「平尾、あと三ぃっつ」の声に、左から力ずくで掬い、今度は右手で肩を固め、続いて脇を取り足抜きの体勢へ、「あと、ふたぁつ」の声に絡まれた右足を抜こうとするも、長島必死の防御に無情な時が流れていく。「平尾〜行け〜!」北大陣から大きな声援が飛ぶ。「あと、ひとぉつ!」平尾の体はズンズンと頭の方へ上がり長島から離れ、ヤッとばかりに渾身の捻りで足を引き抜けば、長尾の粘りもこれまで。横四方固めで平尾の二人抜き(図8)。
 平尾の三人目は、五鋒一年生尾崎初段。北大陣から「平尾、落ち着いて行け」の指示が飛ぶ。尾崎左組み手の喧嘩四つ。平尾寝技に誘うも、嫌って立つ。尾崎の動きが鋭く、「平尾ぉ〜、気合いぞ〜」疲れの見える平尾に陣営から声援が飛ぶ。何回かの力比べがあり、どうしても寝技に持ち込めない平尾が、立ち上がった組み際、伸びた平尾の右脇に尾崎の右腕が悪魔のように音もなく入り込んだ。次の瞬間、平尾の体は尾崎の背中で舞っていた。平尾、一本に背負われ無念の敗退(図9)。
 二人目に時間いっぱい掛けてもぎ取れた平尾の体力・気力は限界だった。ここで引き分ければ大・大・大の殊勲だったのだが、まだ緒戦。それよりも彼は一瞬で決まる立ち技の怖さを味わったことだろう。彼は三年目、更なる精進を期待したい。
図7
図8
図9
 【閑話休題】
 参鋒戦で平尾に討ち取られた九大川波選手を紹介したい。筆者が四年目の時、二年目に故内山君、一年目に渡邉君・井尻君という修猷館高校柔道部の同期生三名がいた。彼らは、小兵ながら、すでに完成した寝技を体得していた。彼らの理論的で美しい寝技は、北大柔道部に新風を吹き込み、我々の寝技の幅を広げてくれた。指導者は、奥田義郎監督である。
 奥田監督は、一七〇cm、七〇kgの小兵ながら、1964年の全日本選手権で岡野功金メダリストを破った寝技のスペシャリストで、「どんな大男でも寝かせてしまえば条件は一緒」と公言して憚らない。その奥田監督を三顧の礼を以て九大柔道部の師範に迎えたのが、自身も修猷館柔道部出身である羽田野総監督であった。
 今、北大柔道部に流れる寝技の伝統技術は、奥田先生の寝技理論を修猷館出身の三人が注入してくれたことによって深まったのだ。その井尻君が、修猷館の修学旅で生徒を引率して旭山動物園へやって来ることとなった。筆者は宿泊地である富良野へ駆けつけ、生徒諸君へ動物園学を講義した後、柔道部員全員と面談し、全員に固い握手で北大柔道部への入部を勧めた。その中に、ひときわ背の高い選手が二人いて、「修猷館のツインタワーと呼ばれ、高校柔道界の逸材である」と監督から紹介された。今回三鋒戦に出場した一年生の川波選手が、その内の一人であった。緒戦の平尾にあれだけ時間を使わせたのだから、破れはしたものの彼の実力は測りしれようというもの。
 試合終了後、彼は筆者に挨拶に来て、北大へ入らなかったことを詫びてきた。もう一人の様子を聞くと「来年、九大へ入ります」と笑顔で答えた。筆者は「来年、北大柔道部が待っていると伝えてくれ」と握手を求めたが、羽田野さんに「それは、だめだよ」と遮られた。きっと来年は九大のツインタワーとして北大に立ち向かって来るに違いない。それも楽しみなことである。さて、本戦に戻ろう。

 北大四鋒に陣取るは、北大一八〇cm一〇〇kgの超弩級ボスゴリこと林副主将である。平尾を取った尾崎の顔色はすでにない。がっちりと組み止め体落とし、堪らず尾崎は亀となって守る。陣営から林、頭に回り尾崎の首をねじ上げれば、振り回すこと数回、尾崎は必死で畳にへばり付くような亀で抵抗。北大陣から、「あと四っつぅ、そろそろ行くぞ〜」の声に、林今度は首を極めながらゆっくりと尾崎を仰向けに起こしていけば、尾崎堪らず首を抜く。林、瞬時に胸を合わせ横四方に固めれば、尾崎まったく動けず、一本(図10)。尾崎の首が折れずにすんだのは良かった。
二人目は、五年生松田二段の登場。松田気合い十分の立ち会いに、林背越しに後帯を取るも、歴戦の松田左で林の右腰を突き離し完全防御の姿勢。林、上から押し潰せば、松田堪らず亀となる。林左腕を胸にこじ入れ、松田が藻掻き足掻くところをSRTで天を向かせ縦四方に固めるも松田懸命に足を掛け、「解けた」と主審。林慌てず、左足を預けて肩を極めに行くと見せて、松田の首に左手を逆手に回し右手で締め込めば、松田堪らず参りを打ち一本(図11)。林、息も乱れず三人目を迎える。
九大七鋒は、一年生阿部初段、元気よく飛び出してくるが、林が前に出ると、場外へ飛んで逃げて、主審から注意を受ける。阿部、組み際に捨て身小内で林にしがみつくが、林の手内股で横転、技有りの判定。すかさず、阿部を亀にしたところで、陣営より「じっくり行け」の声。林、一分ほど息を整え、「あとみっつ」の声に、パワー全開、阿部を持ち上げながら仰向けにねじ伏せ、「押さえ込み」。崩れ上に移行し万全の合わせ技で一本。阿部、最後の最後まで暴れ続け林に力を抜かせなかったは一年生として立派であった。
 林の四人目は、中堅に布陣した九大五年生宮崎弐段との対戦となった。
 宮崎選手、ボスゴリ林に対して一歩も引くことなく得意の左で奥襟を取り、渾身の内股、大外を放つ。五年生の維持だ。林、宮崎を潰して北大伝統の噛み付きで左足を越えてじりじりと上半身に迫って行く。宮崎も慌てずにしっかりと防御、肩を極めさせない。これは九大奥田師範の指導である。北大陣より「あと、二つ半」の声。林の右腕が、徐々に宮崎の首に忍び寄るが、宮崎も両手で袖を掴み堪える。残り二分を切り、林の動きが激しさを増し、左手を股から外し肩へ回しながら宮崎の上体を捉えれば、宮崎必死の二重絡みで凌ぐ(図12)。林、上体を起こし満身の力を込めて覆いかかるも、宮崎のがんばりが時間を奪いそれまで。両者、力を出し切っての引き分けであった。林副主将、三人抜いての引き分けは見事であった。
図10
図11
図12
 【閑話休題】
 昨年の林を知っている人には、この日の林を別人と思ったに違いない。この秘密を佐々木元コーチに聞いた。佐々木は「林は、途中入部だったんです。その時点で、寝技では同期との間に圧倒的な差ができていたんですね。それが元で、去年までの林は自分が強いことに気づいていなかったんです。四年目になった林が、ようやく自分の強さに気づき、実力を発揮できるようになったんですよ」と教えてくれた。因みに、林副主将は、全日本学生柔道連盟のハワイ研修に北海道から選抜されて参加している。

 北大五鋒には、小林主将が布陣。小林は一年目から七帝戦を経験し、すでに三勝を挙げている実力の持ち主である。対する九大七将は、一年生加来初段が登場した。組み際から、加来を引きずり落とし、亀になるところを加来の頭に回り、横三角に右足を潜り込ませれば、加来堪らず腹を僅かに開けた。その隙を見逃さす小林ではない。彼の腕は加来の左脇から深々と刺さり込み、必殺の右手が加来の右脇裾をがっしりと掴んでいた。小林、落ち着いて加来を包み込みSRTで回せば、加来を微動だにさせず、縦四方に極めて一本勝ち(図13)。
 小林、休むことなく二人目の三年生池田初段を迎え撃つ。小林が潰して背帯に手を掛けた途端、池田が引き込んできた。小林、うまく足を掬って亀にし、頭に付く。九大陣営より「頭を上げぃ」との指示が飛ぶ。池田、指示とおりに動き小林を引き込むが、小林の素早い動きに翻弄され、二重絡み体勢となる。九大陣から必死の声援が飛ぶ。膠着を打開するため小林が池田を持ち上げ、立つ。「あと四つです」の声。小林、組み際の大外で池田を倒すも、池田にしがみつかれ、立つ。立ち上がり池田の引き込みを裁いて右肩を極める体勢から足抜きへ移行。池田、小林の腰を抱き込み二重絡みで必死の防戦。「池田ぁ、しっかり抱いとけ〜」と九大から悲鳴が聞こえる。北大陣より「小林、立て」の適切な指示。「あと、ふたつと二五です。」誰もが小林の勝ちを信じている。組み際から亀となった池田をしっかりと潰して頭に回りSRTで回すも、池田の気合いが小林を抱き込み二重絡みで凌ぐ。小林も気合いで何とか振り解きSRTへ引きずり込んで池田に天を向かせ残り二一秒で抑え込みのコール。一〇秒が経過した時、「解けたぁ〜」主審の声に我が耳と目を疑った(図14)。小林の体が浮いて、次の瞬間小林が畳を背負っていたのだ。九大陣、大歓声に包まれる。池田は小林の腰にしがみつき、それまで。小林無念の退場を我が陣営は盛大なる拍手で迎えた。
 この一戦は、池田選手の敢闘を讃えるべきだろう。小林必殺のSRT・縦四方を跳ね返し、よくぞ六分間の猛攻を凌ぎきった。彼には来年に向けて大きな自信となったでろう。
図13
図14
 六鋒は、3年目保坂弐段の登場。一八四cmと長身、四肢の長さを活かした寝技が得意な選手、一年生から出場して既に三勝を挙げている剛の者だ。対するは三年生井崎初段。保坂、引き手を掴み奥襟を取りに行くが場外(図15)。井崎の引き込みに合わせて上手く捌き亀にする。頭に回って横三角に回すも井関の機敏な動きで逃げられる。保坂、三度目の横三角で背中に付き、得意の十字固めの体勢へ移行。井崎、堪らず参りを打ち、腕拉十字固めで一本。
二人目は、一年生三谷弐段。保坂の引き込みに、三谷恐れの余り、保坂を持ち上げ激しく畳へ落とす。これは頸椎損傷の虞がある危険行為なので、主審は両者を正座させて三谷に「注意」を与えた。再開後、保坂が引き込み、すぐに背中に付く。腰を両足で固め、締めを狙うも三谷が払い除け、そのまま保坂下になり前三角へ。九大陣より「両腕で前帯を持てぃ」との基本指示が飛ぶ。保坂、三谷の左腕を掬いながら横に崩して、得意の十字固めへ向かう。保坂の体がスッと伸びて、腕が極まったと思われた瞬間、三谷体を回転させながら懸命に保坂を持ち上げれば、保坂の頭が一瞬畳を離れて、待て。九大陣からの歓声が飛び交う中、「あとみぃっつ」の声が保坂に届いていた。しばらく立って様子を見、ここぞと放った保坂の内股に、三谷必死で体を捻り腹から落ちる。保坂、三谷の上で数十秒休み、三谷の左脇を掬って一気に横に崩し得意の体勢を確保。保坂、しっかりと腕を取り込み今度は慎重に肘を伸ばせば、三谷堪えられず参りを打つ。腕拉逆十字固めで一本(図16)。二人目を退ける。
 三人目は、早くも三将に布陣していた三年目宮崎主将の登場である。この展開で、自分の出番になることを彼は予想だにしていなかったに違いない。北大陣怒濤の攻撃に、あれよあれよというまに自身にまで回ってきてしまった。でも、「ここで一矢を報いなければならぬ」彼の顔には悲壮感が溢れていた。
保坂の引き込みを嫌わず、すぐに足を越えてきた。右腕で保坂の首を巻き、どんどんと上がって行こうとするところを、保坂難なく掬って立ち上がるや、宮崎の足払いが飛んできて、場外へ出ても更に厳しい追撃が保坂に迫る。目を離せない見事な攻防に会場全体が飲み込まれていく。立ち会い、保坂鋭く引き込み徹底して前三角を狙うが、宮崎に嫌われ、立つ。保坂何としても引き込んで三角から逆十字を狙う(図17)が、宮崎腕を伸ばすことなく、保坂を持ち上げて、待て!宮崎、立ち上がりの小外から一本に背負うも、保坂の懐は深く担ぎきれない。保坂に疲れが見られ、動きが緩慢になるところを、背負いからの大内を食らい、尻餅をついて「技有」を取られる。保坂、「あと一つ」の声に、気合いを入れ直して引き込みから三角を狙うも、時間。保坂、二人を抜いて九大主将と引き分けたは、立派。
図15
図16
図17
 続く北大七鋒には、三年目根元二段が、副将に構えた三年生坂巻二段を迎え撃つ。左組み坂巻は九十kgの体格を利してじりじりと根元を角へと追い込む。両者立って勝負(図18)。根元、負けずに引き手を絞り、坂巻の自由を奪うも、坂巻が機を捉えて根元を引き倒せば、根元はすかさず亀で守る。坂巻、根元の亀を崩さんと懸命に攻め続けるが根元の亀は固く、何もさせない。「あとみいっつ」坂巻の猛攻に必死で耐える根元の顔が歪む。首も脇も腹も股も何一つ坂巻に与えず完璧に坂巻を封じきって、引き分け。攻めも攻めたり守るも守ったり、両陣営とも惜しみない拍手で両選手の攻防を讃えた。
図18
 両軍、正座をして九大大将木村初段を迎える。対する我が北大軍中堅に布陣するは、三年目高橋二段。高橋は、「絶対勝たなければならぬ」と自らを奮い立たせた。七鋒までの流れを壊したくはない。高橋は、根元が必ずや坂巻選手を止めてくれると信じ八分間目瞑目して大将木村戦に集中していた。彼は、“木村は、必ず引き込んでくる。噛み付いて、担いで、足を絡ませて、じっくり抜き、横四方”何度もイメージを繰り返していた。
 北大高橋選手対九大木村選手の呼び出しに、高橋落ち着いて仕切り線に立った。
 戦いは、高橋のイメージ通りに進む。木村の引き込みに、高橋北大伝統の噛み付きで勝負。高橋太い左腕で木村の右足を完全に肩に乗せ、左手で木村の襟を掴んで引き寄せて木村を押し畳む。定法通り右膝で木村の左膝を踏み、脚を越えようとするも頑強な抵抗に遭う。高橋、木村の腰をグイとばかりに持ち上げ、今度は左膝で右肘を踏みつけ、体を左へ回り込ませて胸を合わせ、横四方に固める。あとは、型通りに崩れ上四方へと移行して一本(図19)。両足を開き胸を張った美事な崩れ上四方固めであった。
図19

 緒戦、北大は中堅以下八人を残して九大を退けた(図20)。圧勝であった。
宮武監督は、仕事の都合で試合後半になっての会場入りだったが、その間、監督代行のコーチが選手に対して随時的確な指示を与えていた。指導陣の思惑通り、参鋒平尾、四鋒林、五鋒小林、六鋒保坂で八人を抜く快挙を達成、北大陣営は一気に燃え上がった。もちろん、ここで忘れてならないのは副将坂巻選手を止めた根元の頑張りである。
図20
 試合後、筆者は九大陣を訪れ、九大勢とお互いの健闘を讃えあった。
因みに、九大は、敗者復活戦に回り、筆者も九大陣で有岡君と共に試合の成り行きを見守った。九大は、阪大を二人残しで下し、名大に挑戦、四人を取ったものの、名大に二人残されて敗退した。来年の札幌大会、九大は、主力メンバーがそのまま残る。この三試合は九大にとって貴重な財産となるだろう。叶うことなれば決勝戦で相まみえたいものである。
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